無垢の予兆

言葉の出枯らし

徒然霜月

 

2018年も終わりにさしかかっている。

今年も色々あったような、なんにも無かったような。

2018年は、年明けの5分後にエグザイルのライジングサンを踊っていて、ポットに足をぶつけてお湯をこぼすという幸先の悪いスタートだった。

しかしそれが暗示するような嫌なことはあまり起きなかったと思う。

私の人生はいつもこうだ。荒れ狂う波もなければ不慮の落石も無い。しかしとびきりの幸運も無いし、頭がおかしくなるほどの熱情も無い。

私はそれがサイコーだと思っている。

 

恋愛に関するネタも一向に潤わないので、話題提供できなくて友人達には申し訳なく思っている。

ひとつあるとすれば、職場にナイスミドルがいるということくらいか。

その人は40代くらいで、シュッとして背が高く、ちょっとキツネ目でスーツが似合う。私が入社面接した時の面接官だった。

一目見て、私のタイプだと思った。仕事を始めた頃も書類などの件で少しお世話になった。

私がどんくさくて書類や筆記具を落としたりしても(私は何故かよく物を落とす)、ちゃんと待っていてくれたり、ある時は私の印鑑が朱肉で赤く汚れていたのを見て「ちょっと貸して」といって拭いてくれた。これは結構恥ずかしく、それが逆に興奮した、と友人に言ったら「変態か?」と冷たく言われた。

 

初めて会った時は冷たい人なのかと思っていたので、正直驚いた。その後も偶然帰り道で会ったりして度々一緒に駅まで帰った。彼は笑うとキツネ目がいっそう細くなった。

 

ある日、「今度美味しい店に連れてってあげるよ」と言われた。私が返事に迷っていると「変な意味じゃないよ?かといって誰にでも言ってるわけじゃないけど」と言われ、ますます何と言っていいか分からなくなった。

 

それからご飯に行くことも無く、私の勤務時間の関係で帰り道で会うことは無くなった。その人も他部署に移動になった。

 

つい先日、お偉いさん方が職場を見学に来た。一番後ろにあの人がいた。

「こんにちは」と私が挨拶すると、「こんにちは、久しぶりだね」と彼は言った。そして顔を近づけ「元気だった?」と聞いてきた。私は息が止まりそうになりながら直立不動で「はい」とだけ言った。

やっぱり格好いい人だなと思った。

 

あと最近あった事といえば……

…え?これで終わりかって? はい。この話はこれで終わりです。

 

 

最近は母と箱根旅行に行った。

うちは結構家族で旅行に行くのだが、母と二人では初めてだった。父と母は仲が良く、しょっちゅう二人で出かけている。なので驚くことに、母は一人で地元から出たことがほとんどない。箱根湯本で集合しようと言ったら「そんなのほとんど一人旅だ。不安でいやだ」と言われた。

 

結局小田原で待ち合わせすると母は大きな荷物を持って現れた。「備えあれば憂いなし!」と言っていた。それからはずーっと喋り続けていた。父と母は二人でいるとずっと喋り倒している。長年連れ添ってよくまだそんなに話題があるものだと驚き呆れてしまう。

その反動で私と弟が無口な人間になったのかもしれない。

 

父は旅行のプランを事細かく決めるタイプだ。(しかしいつも詰めが甘く、バスの停留所を間違えて置いてけぼりにされたりしている。) なので私の適当なプランニングに母は不安がっていた。

一日目は箱根神社に行き、御朱印をもらい、湖に浮かぶ鳥居で写真を撮った。母が撮るのが下手すぎて軽く喧嘩になった。

わかさぎ定食を食べながら母の愚痴を聞いた。

今回の旅の目的はこれだったりする。

マイペースな父と弟、これまたゴーイング・マイウェイなおばあちゃん、母の職場の偏屈な先生、と母を取り巻く人々は何かと問題児だ。

 ちょっと日常から離れ、少しでも気晴らしになってくれたらいい。

 

その後は星の王子さまミュージアムに行って、ススキで有名な高原に行った。そこの風景が筆舌に尽くしがたい程美しかった。

ちょうど夕日が沈む頃で、黄金の海のようなススキが夕日に照らされていた。空は真っ青で、飛行機が横切り、ひとすじの雲が続いていた。

 

 夜はお洒落なイタリアンで夕食をとった。ルッコラのサラダが苦手だったことを忘れて頼んでしまい、ヤギのように苦々しげにモシャモシャ食べた。

宿の温泉はとても良かった。貸し切り風呂からは紅葉が見えた。

 

二日目は近くの純喫茶でナポリタンとバタートーストとホットコーヒーを頼んだ。

赤いベルベットのような椅子が素敵だった。

「最高だね。我ながら最高なプランだったでしょ」とナポリタンを吸い込みながら意気揚々と私が言うと、「たしかにね。たまにはゆっくりのんびりな旅もいいね」と母も言ってくれた。

 この後、大涌谷箱根美術館強羅公園などに行ったのだが割愛。

 

母はおみやげを大量に買い、来た時よりもさらに大荷物で新幹線で帰っていった。お礼ということで私にもキャラメルのラスクをくれた。

 楽しんでもらえたようで良かった。

 

わかさぎ定食を食べている時に、私は宗教を信じない友達の話をした。以前ブログにも書いた、お墓に私はいない、という持論の子だ。

母はへぇ~とか、面白い子だね、とか言うのかと思ったら真剣な顔で「それ、最近よく考えるよ」と言ってきた。

そして「どうやらうちのお墓、もうすぐ人数制限が越えるらしいんだよ」と衝撃の発言をかましてきた。

考えたことがなかった。お墓に人数制限があるなんて。

でも確かにそうだ。スペースは限られている。でも骨はこれからどんどん増えていく。

「だから私が死んだら海とかに撒いてほしいなぁ。自然にかえして欲しい。旧姓でも今の苗字でも無く、自分自身が誰なのかとか関係なくさ」

と母はぽつりぽつり言った。

「一人の人間としてってこと?」と私が尋ねると、母は大きく頷いた。

 

「こんなこと、あんたにしか頼めないからね」と言って美味しそうにわかさぎのフライを頬張る母を見つめ、責任重大な任務を託されたな、と私は息を大きく吐いたのだった。

 


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