自堕落な夏
日本列島を熱するだけ熱した後、突然飽きてしまったかのように夏はどこかに去ってしまった。
まるでスイッチを切ったみたいに、目が覚めたら秋になっていた。
夜空は高く澄みきっている。
今年の夏はいかんせん暑すぎた。
眠っている最中も軽い脱水症状でカラカラになって飛び起きることも何度かあった。
ラジオで、「今年の夏は人だとしたらかなりスベっている。温度調節をケツ搔きながら足でやってるような奴だ」と言っていて納得してしまった。
ちゃんとしろ、と言いたくなるくらい雑な温度だった。
平成最後の夏だからと気合をいれつつ調子に乗ってしまったのだろうか。
今年もお盆は実家に帰った。
幼馴染と、同級生の旦那と、2歳の娘ちゃんと軽井沢におでかけした。
母に「あんた邪魔じゃないの」と苦言を呈されたが、もともと幼馴染と娘ちゃんと私の三人で行こうとしていたところに旦那が俺も行くと言ってきたのだ。そこんとこを忘れないでいただきたい。
昔、この二人がまだ付き合ってもいない頃、三人で鎌倉に行ったことがある。
海岸沿いの店でハンバーガーを食べ、小町通を散策し、歩きにくいからとビーチサンダルを買って、足を並べて写真を撮ったことだけは漠然と覚えている。
まさかこの二人が結婚するなんて、誰も予想していなかっただろう。
娘ちゃんに「好きな男の子はいるの?」と聞くと、「いる」と頷いたので、聞いた私も幼馴染たちも動揺してしまった。
「誰?誰?!」と問い詰めると
「じいじ…」とのこと。
「なんだ、じいじか……じいじって男の子か?まあいいか…」
と大人たちはなんとなく安心して脱力してしまい、おかしかった。
私と幼馴染は6歳で出会った。
娘ちゃんはこれからどんな子と友達になって、どんな子を好きになるんだろう。楽しみだ。
帰りに、しりとりをしようということになった。
「くだもののしりとりにしよう」と娘ちゃんが言うので、「じゃあ、キウイ」と私が言うと娘ちゃんは「い?い、い……岩キュウリ」という得体の知れない野菜をぶっこんできたので一同爆笑してしまった。
「あぁ~、あの有名な岩キュウリね」とのっておいた。
子どものイマジネーションはすごい。
家では扇風機に当たりながら桃と梨と葡萄と西瓜とミカンを食べ、ぼーっと甲子園を見ていた。
この時間が永遠に続けばいいのに、と自堕落な脳みそで考えていた。
あと、母と映画を観にいった。
「未来のミライ」という映画だ。 上映時間に間に合わないとすこぶる焦って、裏道をぶっ飛ばしながら運転する母がどうにも面白くて、私はずっと笑っていた。
父は「評価良くないぞ」と言っていたが、映画は結構面白かった。
私の父はちびまる子ちゃんのお父さんに似ているというか、ひねくれてて性格が良くはないので、「面白くなかった」というと嬉々として「ほら見ろ!だから言っただろう」と大喜びするような男なので、「結構面白かったよ」と言ったらつまらなそうな顔をすると思う。
私は映画を観た後すぐ東京に戻ってしまったので、その顔は見れなかった。
8月13日は毎年叔父夫婦と従妹や従兄が家に来て、皆でお墓にいって迎え盆をする。「おぼん」と書かれた古い提灯に火を灯し、先祖の霊を導くのだが、提灯が柄からぼとりと取れて落ちるので、そのたびに弟は文句を言っていた。
おばあちゃんは、物忘れがさらに激しくなっていた。
お墓へ行った後は親戚が家に来てご飯を食べていくのが昔からの行事なのに、そのことすら忘れてしまっていた。
お墓への道中、おばあちゃんは私に言った。
「おじいちゃんは死ぬ間際、あたしの手をにぎって最後に眼を開いた。ありがとうと言って死んでいった」
毎度毎度聞かされるエピソードなのだが、家族が祖父のもとに駆け付けたとき、祖父はもう息をしていなかった。
義務的に医師が心臓マッサージをしていて、家族が来たことを確認したのち、死亡を伝えたらしい。
でもおばあちゃんは自分が見たことをずっと信じ続けている。
私たちもそれでいいんじゃないかと思っている。
否定も肯定もせず、「そっかぁ」と相槌をうつ。
皆で食卓を囲んで、目一杯ご飯とお酒を楽しんだあと、昔の旅行の写真を皆で見た。
おばあちゃんは幼き日の弟の姿を見つけるたび、「可愛い」を連呼した。
従姉が「ともちゃんも可愛いじゃん!」と言ってくれるのだが、おばあちゃんは完璧にスルーするので、私は「お~~~い!!!」と芸人のようなノリで突っ込まざるを得なくなる。
おばあちゃんの男尊女卑は昔からなので、もう慣れてしまって正直あまり傷つかない。
しまいには従姉が「弟くん、そんなに言うほど可愛くないよ…?」と何故かアンチになりかけた所で宴は終了となった。
おばあちゃんは本当に面白い。
ずっと一緒にいると辟易するけど、おばあちゃんがいない世界なんてつまらない。
長生きして欲しい。