無垢の予兆

言葉の出枯らし

無垢の予兆 はじめに

 

「ブログを書いたら読んでくれるか」と友人に尋ねたら、「読む」と返事が来た。

じゃあ書いてみようかな、と思ってたちあげてみたはいいものの、パソコンで文章を打つのは久々なので勝手が悪い。

スマホで長文を打つのもしゃらくさい。

仕方がないのでゆっくりキーボードに指を乗せる。

今気付いたのだが、私のパソコンのBack Spaceキーは異様に小さい。

Enterキーと同じくらい使うのに何故こんなに打ちにくい大きさなのだろうか。

Back Spaceキーをよく使うということは、それだけ消したい言葉が多いということ。

これを言うと恥ずかしいな。これはやっぱり隠したい言葉だ。

こんなこと言って、変な奴・恥ずかしい奴と思われないだろうか。

そういうくだらない思いが強いので、私はあまり話すのが得意ではない。

上手く言葉が伝わらないことや、失言してしまったことに気付きつつも表面上何事もないように過ごし、後で反省することも多々ある。

 

ようは、私は自分の内から出る瞬時の言葉に自信が無いし、責任を負いたくないというクズ思考が根付いているのだ。

だから電話も好きじゃない。たとえ好きな異性からの電話でも気付かないフリをして出ない。

 

何故なら電話にはBack Spaceキーが無いから。

 

今も、上記の言葉の前に改行なんかしちゃって、「言ったった感」が出ているな、と進行形で反省している。

私がもしこのブログの読者だったら「こいつ、改行までしてなんか名言風なこと言ってる」と思うだろうし、世の中の人たちも無意識にそう思っているはず、という根拠のない自信がある。

 

被害妄想か?面倒くさいか?性格が捩じくれているか?

「そうだ」と言われれば「ふうん」としか言えない。

まあ、なんにせよこのブログはほとんどの人の目に留まることは無いだろう。ならば好きなことを書いて鬱憤を晴らそうと思う。

 

ここに至るまでにも、何度もBack Spaceキーを打ち損じた。

文章を書くのは楽しいが、やっぱりその分しんどい。

でもそろそろいい大人なのだから、自分の発言には責任を持てるようになりたい。リハビリ行為だと思えばいい。

心がささくれてきたので、そろそろ終わろう。

思いのほか長くなってしまった。

 

話の筋とは関係無いが、ちなみに、タイトルの「無垢の予兆」とはウィリアム・ブレイクの詩の一遍である。

学生の頃に衝撃を受け、好きだと思った詩なのでタイトルに飾らせてもらった。

 

〈一粒の砂にも世界を 一輪の野の花にも天国を見、 君の掌のうちに無限を ひと時のうちに永遠を握る〉

 

ちいさな存在も、それが発する波がすべての物事へ影響を与えている。

この世の理を知りたいのならば、まずそこに目を向けるべきなのかもしれない。