おねえちゃん
「ともちゃんには、お姉ちゃんがいるはずだったんだよ」
その言葉に、私は後頭部をぶん殴られた気がした。
ともちゃんとは私のこと。私は長女であり、下には弟がひとりいる。
「どういうこと?」
私は目の前の従姉に尋ねた。
季節は夏真っ盛りで、私たちは夏休みの日課である小学校のプールに行くために待機していた。
「本陣」と書かれた謎の石碑に座り、直射日光をなんとか避けながら、私は赤い水着袋をぎゅっと抱きしめた。
3つ離れた従姉もまだ小学生だったのだから、私は当時小学2年か3年生だったはずだ。
「ともちゃんには、お姉ちゃんがいるはずだったんだよ。でも死んじゃったんだって。流産だって。これはおばちゃんに言っちゃダメだよ。悲しむから」
従姉は呆然とする私にあっけらかんとそう告げた。
流産の意味をその時知っていたのか、教えてもらったのか、後から知ったのかは忘れてしまった。
ただ、「言ったらダメだよ、悲しむから」という言葉が耳から離れなかった。
幼い弟に言えるはずもなく、母からもそんな事実は告げられた覚えがないので、隠したいことなのだと察し、私はその言葉を自分の中に封印することにした。
私はたった8歳で、誰にも言えない大きな秘密を背負うことになった。
それから時々、私はこの世にもう存在しないお姉ちゃんを想像するようになった。 もしいたら、どんな人だったのだろう。優しいかな。怖いかな。私に似ていたらいやだな。
そんなことを思っているうちに、私は秘密を持っていることが辛くなっていった。
ある日、数人の友達につい喋ってしまった。私にはお姉ちゃんがいるはずだったんだ、と。
それがいけなかった。そのうちの一人が、私の家に遊びに来た時に母がいる前で「お姉ちゃんがいたんでしょ?」と悪気なく言ってしまったのだ。
そういえばこの子は、「図書室に飾ってあるモナリザの前で名前を呼ばれると夜に心臓をとりにくる」という怪談話を聞いた後の私に、悪気なくモナリザの前で私の名前を呼んできた子だ。
私はその時と同じ絶望を感じながら母のほうを恐る恐る見た。
泣き出したらどうしよう。
しかし母は「なぁに、それ?」と言って笑った。
私はその反応を見て、「ごまかされた」と思った。
聞かなかったことにされた、と。
そして、母は私に真実を言う気はないのだと悟った。
それから12年、もう誰にも秘密を打ち明けなかったし、母に問いただす気も起きなかった。
私は20歳になった。
精神的にも少しは大人になり、母の相談や愚痴に付き合えるようになったし、偉そうにアドバイスするようになったりしていた。深夜2時まで話し込むこともあった。
ある日、私の出産について母が話し出した。
難産で、分娩室に4日もいて苦しんだ~というよく聞かされる話だ。
しかし、その日は違った。
「あんたを産む前、胞状奇胎になっちゃってさあ、流産かと思ってすごいショックで…でも赤ちゃんになる前の段階だったからほっとしたよ~…最初に診てもらった医者がヤブでさあ…」
「ちょ、ちょ、ちょ…ちょっと待って」
私は母の話を遮り、恐る恐る訊ねた。
「私、子どもの頃に従姉に流産だって聞いて、…お姉ちゃんがいるはずだったって聞かされたんだけど、違うの?」
「お姉ちゃん?なんでそうなるの?デマだよ」
母は訳が分からなそうに首を傾げた。
訳が分からないのはこっちである。
私は12年以上も、嘘の情報に惑わされていたということになる。
なんだったのだ、この長くて憂鬱な杞憂は。
なんだか肩の荷が下りたというか、肩の力が抜けたような変な気分だった。
その日を境に、私の頭の中にお姉ちゃんは現れることはなくなった。
いつ想像してもその全容ははっきりせず、顔も性格も靄に包まれたような存在だったので、消えるのもあっという間だった。
それから数年が経ち、私は20代後半を終えようとしている。
最近母と温泉に入り、だらだら話していると、またその話になった。
「あぁ、流産だって信じて、私がお母さんを傷つけまいと一人でずっと抱え込んでた話ね。ほんと、健気じゃない?」
と、冗談まじりに言うと、「そうだったんだ?」と私の苦しみなどすっかり忘れて母は笑った。
「でも、流産だと思ったよ、最初は分からないから。子供を殺してしまったんだと思って毎日泣いた。その当時おばあちゃん(母の母)が具合悪くて先が長くないから、子どもだけは見せたかったけど、ダメだったから、本当に辛かった。」
その言葉を聞いて、私はひとりぼっちで泣いている若い頃の母を思った。
その時、私がいたら支えられたのに。その時私はまだ生まれてもいないんだから、完全に不可能なんだけど、時空を飛び越えて母のそばにいられれば良かった。
母は今でも時々、私が生まれる前に亡くなったおばあちゃんの話をする。
あんた(私)に会わせてあげたかった、とか、一緒に3人で買い物行きたかった、とか、私の横顔はおばあちゃんに似ている、とか。
「母が亡くなってもう頼れる人はどこにもいないって失意のどん底にいたときに、うちのおばあちゃん(父の母)が言ったんだよね。「困ったときは、この子の面倒はいざとなったらあたしがみてやるから、心配するな」って」
私は「おばあちゃん、格好いいね!」と感心して言った。
「うん、感謝してるから、おばあちゃんが我儘を言ってキレそうになる時に思い出すようにしてるわ」と母が言うのでつい笑ってしまった。
母には母の、私には私の秘密があって、それは本人にとってはそれなりに重くて、ひとりで抱え込むしかなかった。
人に相談するのが苦手な私たちはずっと自分の力で何とかしようとしてきたけど、それはあんまり良いことではないみたいだ。
もう隠し事をしたり、されるほど子供ではないはずだから。