無垢の予兆

言葉の出枯らし

10月の死神

 

十月は異称で神無月と呼ばれる。

全国の神様達が出雲大社に集まるので、神様がいない月。

 

私は十月が何故か一番メンタルがやられる。

暑かった夏から冬に向けてだんだん肌寒くなることが影響を及ぼしているのかもしれない。

季節の変わり目に感情のコントロールが難しくなる季節性感情障害(SAD)、通称季節性うつというものがあるようだが、症状を見てみると微妙に私には当てはまらない。

十月に発症して春まで続くらしいのだが、私の場合はかなり短期だ。

 

1日だけ何もかもが嫌になる日がある。誰の言葉も信じられず、今まで平気だったことが平気じゃなくなる。

この強烈な1日を乗り越えれば、元の平穏な日常に戻れる。

 

先ほど十月は神がいない月と書いたが、ひとりだけいる。

そいつは私の周りをぶんぶん蠅のように飛び回り、正常な思考を妨げる。

死神である。

 

死神を連想するといろいろな姿かたちがある。

黒いマントにドクロの顔で鎖鎌を持っている奴や、落語の「死神」に出てくるみすぼらしい老人姿の奴。

私の死神は映画の「バードマン」に出てくるような奴だ。

後ろにぴったりくっついて、気分を落ち込ませるようなことを囁き続ける。

 

私の死神はひょろっちくて、愚痴を吐いたり、友達と遊んだり、美味しいものを食べたりしていれば小さくなっていつの間にか消えている。

いつだったか、一人で黒部ダムに行ったことがある。

その為に地元に帰ると、母が怪訝な顔をして「あんた、まさか身投げするつもりじゃないでしょうね」と言ってきた。

私はただ、雄大な景色を見て癒されるつもりだった。

 

ダムは元々好きだ。見つけるたびに「ダムだーーー!!」と喜びのあまり叫ぶし、それを見た友達に呆れられる。

一人で行った黒部ダムは格別だった。周りは親子やカップルや友達同士と思われる客で溢れ、女一人で来ているのは私だけだった。

勢いよく放水されるダムを上からのぞき込み、その迫力に足がすくんだ。虹も出ていた。ここから落っこちたら木っ端みじんだな、と震えた。

これじゃまるで疑似身投げをしに来たみたいだな、と苦笑して山菜うどんを食べて帰った。死神はダムの水にのまれて見えなくなっていた。

 

 

十月になるともうひとつ思い出すことがある。

十月に死んだ中学の同級生のことである。

ショートカットで、女の子なのに一人称は「オレ」で、初めて見たとき私は本気で男の子だと思っていた。

最期に会ったのは亡くなる2、3か月前。同級会で集まった時だ。私たちは二十歳になっていた。皆居酒屋で酔っ払って、何故かキス合戦が始まった。私は笑って見ていた。あの子は女子にキスされて嫌がりながらも照れて笑っていた。

皆でカラオケに行って盛り上がった。私がラッドウィンプスを歌うと「オレもその歌チョー好き!」とあの子が目を輝かせて言うので私は得意になって歌った。 カラオケ屋にあったガチャガチャでチュッパチャップスを取って私にくれた。見事に終電を逃し、あの子の親戚が車で迎えに来てくれて、ぎゅうぎゅう詰めになって帰った。

開けた窓から夏の夜風が吹き込み、気持ちの良い夜だった。ネオンがキラキラ光ってあの子の横顔を照らしていた。私たちは他愛もないことで笑っていた。

 

 横浜の赤レンガ倉庫でバイトの面接を終え、バスの停留所で一息ついているときにその知らせは入った。嫌な冗談だと思った。だってつい最近会ったばかりだ。

でも彼女の家に行って顔を見た時、「あぁ、ほんとに死んでしまったんだな」と思った。彼女はまるで眠っているみたいで、呼びかけたら目を開けて「おう!」と笑いかけてくれそうだった。

お葬式にはたくさんの同級生がいた。笑いながら話している人がいたり、足が立たなくなるくらい泣いてる人もいた。

あまり話したことのない他クラスだった人たちに声をかけられ、どこに住んでるのかとか近況を聞かれた。

 

あの子のお姉さんの姿も見つけた。何故か以前お姉さんと二人でバレーのパスをしたことを思い出した。私が経験者だと知ってじゃあやろうよとなったんだと思う。あの子は横で困りながらも笑って「ごめんな、うちの姉ちゃんが」と言っていた。

 

私はあの子と友達だったのだろうか。

最期に会った日に何か気付けていれば、とかそんな驕り高ぶった考えはない。彼女の悩みも知らないし、打ち明けてもらえるほど仲が良かったとはいえない。

ただ、ぶっきらぼうな態度とは裏腹にとても傷つきやすい繊細な子であることは知っていた。教室で机につっぷして静かに泣いている姿を、昔何度か見かけた。皆いつものことだと知らないふりをしていた。私も我関せずだった。

 

ただ一度だけ放っておけなかった。あの子はベランダでまた泣いていた。冬服に衣替えしていたけど教室の窓は開いていたような記憶があるので、まさかあれも十月の頃だったのだろうか。

どうやら男子に嫌なことを言われたらしい、と誰かが囁いていた。

 

私は泣いている彼女の背中をさすり、「気にしないほうがいいよ、あんな奴の言うことは」と声をかけた。無言のまま泣く彼女の背中をさすりながら二人でしばらくベランダに佇んでいた。

なんで私はあの時声をかけたのだろうか。

なんで友達ヅラしたんだろうか。

私にもあの時一瞬見えたのだろうか。あの子の周りを飛び回る死神を。