無垢の予兆

言葉の出枯らし

繋ぐ

 

最近テレビで世界陸上が放送されている。

陸上と一括りにいってもその種目は様々である。

短距離走長距離走・幅跳び・高跳び・ハンマー投げetc…

私は過去に陸上競技をテレビで見ていて号泣したことがある。

しかもかなりマイナーな競技の、「競歩」の中継で、だ。

2007年の世界陸上競歩で、山崎勇喜選手が役員の誘導ミスにより失格になった。私は偶然それをリアルタイムで見ていた。

 

競歩なんて歩いているだけだから、マラソンより楽なのでは?と考える人もいるかもしれないが、それは間違いである。

競歩はかなり過酷なスポーツで、ルールが厳しく複雑だ。

「どちらかの足が必ず地面についていること」「体の真下に足が来るまで膝はまっすぐに伸ばす」これらができていないと失格になってしまう。

 

酷暑の中、命を削り、意識を朦朧とさせながらも選手達は足を止めない。

山崎選手は運営の誘導ミスで周回数を誤ってゴールしてしまい、途中棄権扱いとなった。それは私にとって衝撃的なシーンだった。

実況していたアナウンサーと解説者が大きな怒りの声をあげる。

 

「これ、誘導間違えてませんか?!」「係員がいま慌てて止めにいっていますね…あ、だめだ!何をやってるんだ」「山崎は意識朦朧としている!」「競技場に入ってしまっています!なんということだ!!ここまで命を削って歩いてきた山崎になんという…!」「3時間50分ちかく死力を尽くして歩いてきた選手に『まだ残っている』なんて言うのは無理だ!!」「これを棄権とは言いたくありません。本人の意思ではありません。記録上棄権とつくかもしれません。でもこれは棄権ではない!」

 

山崎選手は自分が失格になっていることすら気付かず、ゴールをして倒れこみ、6人の係員に担架で運ばれていった。

私はその衝撃の結末に呆然とし、ぼろぼろと泣いた。

何故自分がこれほど泣いているのか分からないくらい泣いた。

命を懸けた行いの結果がこれほどあっけなく散ってしまうものなのか。

今でもその映像を見ると胸が締め付けられて泣きそうになってしまう。

 

でもやはり、全身全霊で何かをする姿というのは美しいし、見ているほうにも胸にくるものがある。

 

私は陸上といえば短距離走が好きだった。小学生の頃は町の陸上教室に週一で通っていたし、100m走の大会にも出た。とくに自分の足が速いとは思わなかったけれど、走るのは好きだった。他者と争うというよりは、昨日の自分のタイムをどれだけ抜けるかが大事だったように思う。

 

初めて大会に出たのは小3の頃だった気がする。

何故か先生に呼ばれ、体育館に行くと同級生の男子2人と女子1人がいた。この4人でよくわからないままリレーの大会に出させられた。

結果は覚えていないが、リレーの楽しさは覚えている。

 

スタートのピストルが鳴ると第一走者が飛び出す。がんばれがんばれ、うわ、もうすぐ来るぞ、来た来た、飛び出す、走る、後ろ手にバトンの重みが伝わる、右手に持ちかえる、走る、走る、抜かされてはいけない、せめて今だけは、走る、バトンを次の走者の男子に渡す、パシッと良い音がする

 

リレーって楽しいなあと幼心に思った。あとスパイクシューズが恰好良かった。足の裏がトゲトゲしていてコンクリートの上を歩くとカツカツいって歩き辛いけど、グラウンドの土では滑り止めになって走りやすかった。

自分の歩幅〇個分を歩いて測り、スパイクの刃を使って線をひく(土じゃなくてゴムの地面だったらテープをはる)。その線を前の走者が越えたら後ろを見ずに走り出し、「はい」の声の合図で手を出しバトンをもらう。これが無駄の無い、効率の良いバトンの繋ぎ方だと先生に教えられた。自分は「選手」なんだという気がしてなんだか誇らしかった。

 

最近そのリレーのチームだった男子と再会したのだが、彼もこの時の小さな体験を覚えていた。彼もバトンを繋ぐ楽しさを覚えていたんだと思うと嬉しかった。

それから何度か私はリレーの大会に出たり、小学校の運動会のリレーの選手に選ばれるように頑張った。

 

たしか高校の体育祭でも怪我をした子に代わってリレーに出た。どんだけ好きなんだ。

私のクラスは女子しかいなかったので、普通科の男女混合に勝てるわけがないと、皆諦めモードだった。しかし女子クラスは皆気が強い。心の中では「やったろやないかい」と闘志がメラメラ燃え滾っていた。

私も「消えちゃいたいよ」と弱音を吐きつつ、せめて私の番では抜かされないようにしないとと考えていた。結果は上位に食い込む好成績で安堵した。

昔の燃え盛るような熱量と、興奮が蘇った気がした。

 

 

もう二度とスパイクシューズを履いてバトンを渡すことは無いんだなと思うと寂しい。

オリンピックのリレーも見たくて応募したが落選した。

バレーボールもそうだが、自分だけで完結するんじゃなくて、全体を巻き込んでやるスポーツが好きなのかもしれない。個々が強くてもそれがチームの強さにはつながらないところ、何が起こるか分からないところがやっていても見ていても面白いのだ。